東京高等裁判所 平成11年(う)980号 判決
被告人 内山俊雄
〔抄 録〕
第一弁護人の控訴趣意について
論旨は事実誤認の主張であり、要するに、原判決は、大型貨物自動車を運転する被告人が、過積載の容疑で警察官から停止を求められたのに停止しようとせずに、追跡する警察官に自車を幅寄せするなどの暴行を加え、公務執行妨害等の犯人として現行犯逮捕されそうになるや、激昂して警察官三名に対する未必的な殺意をもって、自車を急転把させながら前進させ、中央分離帯上にいた警察官一名を轢過して死亡させるなどした殺人、同未遂、公務執行妨害の犯罪事実を認定しているが、被告人は、警察官から停止を求められて二回停車している上、警察官に自車を幅寄せしたり、自車を急後退させて運転席ドアステップに上がった警察官を振り落とすなどの暴行を加えた事実及び逮捕されそうになって警察官に殺意を抱いたような事実は存在せず、また、結果的に警察官一名が死亡するなどしたのは、運転席ドアステップに上がった警察官が窓から手を入れ、運転中の被告人の上着の胸倉をつかんで引っ張ったため、ハンドルが右に回るとともに、被告人の右足がアクセルを踏み込んでしまったことによって発生した偶発的な事故であり、これは専ら警察官の強引な取締りに起因するものであるから、被告人は無罪であり、前記の犯罪事実により被告人を有罪と断じた原判決は事実を誤認したものである、というのである。
そこで検討すると、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人が本件殺人等の犯行に及んだ事実を優に認定することができ、原判決が(事実認定の補足説明)で説示するところも概ね正当として是認することができる。当審における事実取調べの結果を併せても、右判断は左右されない。以下、所論にかんがみ、その主要なものについて付言する。
なお、説明の便宜上、被告人運転の原判示大型貨物自動車を「本件車両」といい、原判示の東京都練馬区北町二丁目七番先路上で運転席ドアステップ上に一名の警察官が乗っている本件車両を他の二名の警察官が佇立している中央分離帯(高さ二〇センチメートル、幅九二センチメートル。両外側の縁石部分は幅一八センチメートルのコンクリート製で、中間部は植栽されている。)に向けて急転把させながら前進させ、中央分離帯に乗り上げ走行するなどした行為を「本件行為」という。
一 過積載の容疑で停止を求められてから本件行為に至るまでの被告人の行動等に関する所論について
関係証拠によれば、本件行為に至るまでの経緯として、原判決が認定・説示するところに誤りは認められない。すなわち、同経緯の概要を若干補足して示すと、被告人は、最大積載量を約二トン超過する再生砕石約一一・五トンを積んだ本件車両を運転し、通称川越街道の上り車線を走行していたが、東京都練馬区北町三丁目一番先に設けられた車両重量計測所前付近で、過積載の取締りに従事していた中山巡査らから、計測のために停止を求められたものの、これに従わずに進行し、さらに同巡査から説得を受けても「定量しか積んでいない」と述べてこれに応じようとしなかったこと、中山巡査は、白バイに乗って本件車両を追跡して、サイレンを鳴らし、赤色灯を点灯し、車載マイクを用いて停止するように呼びかけたが、被告人は、これに応じようとせず、渋滞の状況に応じて本件車両を進行させ、さらに、白バイに乗る同巡査に対し幅寄せを行うなどの危険な行動を重ねたこと、そのため、中山巡査は、説得を断念して、被告人を道路交通法違反(積載物の重量測定のための停止義務違反)及び公務執行妨害の現行犯人として逮捕することとし、同区北町四丁目一番一号の陸上自衛隊練馬駐屯地正門前付近で別の交通事故処理に従事していた渡邉文雄警部らに、本件車両の件を報告して応援を求め、その結果、先行車を停止させたり、交通ミニパトを用いて阻止線を形成するなどして進路を塞いで、本件車両を停止させたこと、中山巡査は、本件車両のフロントガラスにひびを入れて視界を遮ることにより、本件車両の進行を止めようと考え、本件車両の前部バンパーに上がって、特殊警棒でフロントガラスを叩いたが、思うようにひびが入らず、次いで、運転席ドアステップに上がって、右手でサイドミラーの支柱をつかみ、被告人に対して「早くエンジンを止めろ」「降りてこい」「これ以上続けると逮捕するぞ」などと言ったが、被告人は、これに従わず、突然本件車両を後退させたこと、そのため、同巡査はその衝撃で中央分離帯上に振り落とされ、近くにいた新井田正人巡査に身体を支えられて、危うく対向車線上に落ちずにすんだこと、被告人がさらに本件車両を前進させようとしたため、中山巡査は、何とか車を止めようと再度運転席ドアステップに上がって運転席窓ガラスの隙間から手を差し入れ、被告人の右腕をつかんだり、エンジンを切ろうとエンジンキーに手を伸ばしたり、ドアロックを探ったりしたが、腕をはねのけ、窓ガラスを閉めようとするなどの被告人の抵抗に遭って、エンジンを切ることができなかったこと、その後被告人は、急後退した挙げ句、本件行為に及んだこと、以上の各事実を認めることができる。
《中略》
三 警察官三名に対する殺意の有無について
前記のとおり、被告人は、警察官の一連の検挙、制止行為に激昂した結果、運転席ドアステップに中山巡査を乗せたまま、総重量約二二トンの本件車両を右前方ごく近くの中央分離帯上にいる渡邉、田代両警察官に向けて急転把させながら、急発進させて自車を右の両警察官に衝突させ、同時に、その衝撃により中山巡査を対向車線上に振り落とす行為に及んだものであるが、その客観的な行為態様から見て、渡邉、田代両警察官については、衝突、転倒させて轢過するか、車の通行量の多い対向車線上まで跳ね飛ばすなどすれば、その生命、身体に重大な結果を生じさせる蓋然性が高いものと十分認識でき、また、中山巡査についても、不安定な姿勢で、本件車両外側のステップ上で車にしがみついており、右と同様に重大な結果に至る蓋然性が高いことを十分認識することができたと認められる。したがって、各警察官の生命に重大な危険が及ぶことも当然認識できたのに敢えて本件行為に及んだというべきであるから、原判決が認定するとおり、少なくとも三名の警察官に対する未必的な殺意が存在したことは明らかである(さらに進んで、それがいわゆる確定的殺意まで認定することができるかどうかについては、検察官による事実誤認の主張に対する判断で触れることとする。)。
四 以上の次第で、原判決に所論指摘の事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
第二検察官の控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、要するに、被告人が警察官に憎悪を募らせていた経緯、本件犯行の態様及び犯行後の被告人の言動に照らすと、本件における被告人の原判示渡邉文雄、田代利明及び中山毅の三名の警察官に対する殺意の内容については、優に確定的な殺意と認められるから、未必的な殺意しか認定しなかった原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。
そこで検討すると、関係証拠によれば、特に渡邉、田代の両名に対して被告人が確定的殺意を有していたとするにはなお躊躇を覚えるとした上で、三名に対する未必的な殺意を認定するにとどめた原判決の判断に所論指摘の誤りがあるとは認められない。
すなわち、本件はごく短時間のうちに犯意が生じて実行された突発的な犯行であって、被告人は、その特異な性格傾向もあって、警察官の一連の対応に激昂するに至ったものと認められるが、当時警察官の殺害をことさら企図したり、意欲していたことをうかがわせる事情までは認められない。確定的殺意の有無を判断するに当たっては、もとより客観的な行為態様から認められる殺害の確実性の程度が重要であるが、こうした意欲等の主観面もやはり相応の指標になるというべきである。
そして、被告人の激昂の直接の対象であった、車外の運転席ドアステップに不安定な姿勢でしがみついていた中山巡査については、本件車両を中央分離帯に乗り上げさせる際、その衝撃で対向車線上に振り落とす事態が十分想定されるところ、対向車線の交通量が多く、間断なく車両が通行していたとの所論を考慮しても、その走行車両との衝突等によって同巡査が死亡する蓋然性が極めて高いとまでは認められず、この点で確定的殺意を認定することは困難というべきである。所論が批判するとおり、原判決は、中山巡査に対する殺意の内容について何ら具体的な説明を加えていないが、右と同様に判断し、これを前提にしているものと解するのが相当である。
また、渡邉、田代両警察官については、至近距離から発進して衝突させるだけではなく、両名を本件車両の車輪で轢過することまでを意図していたり、轢過する高度の蓋然性を認識していたとすれば、まさに死亡と直結する態様であるから、確定的殺意を認定すべきことになるが、被告人において、そのような意図や認識を有していた事実を認めることはできない。被告人は、本件車両の右前輪を中央分離帯に乗り上げさせるや直ちにハンドルの切り戻しを行って中央分離帯を跨ぐ形で自車を進行させているが、当初からハンドルを切り戻して自車の進行方向を変える意思があったと認められるのであり、この事実は右判断を裏付けるものと考えられる。本件行為により、両名についても中山巡査と同様に対向車線上に押し出したり、跳ね飛ばしたりなどする可能性があるところ、その場合でも、両名が死亡する蓋然性が極めて高いとまでは認められないことは前述したとおりである。所論は、右両名は中央分離帯上で高さ約一メートルから一・五メートルの植栽を背にして立っていたから、植栽に遮られて対向車線上に逃れることなどはできなかった旨を主張しているが、被告人がそこまでの認識を有していたかどうかについてはなお疑問を容れる余地がある。
さらに、所論は、犯行直後に中山巡査から「人殺し。何てことをしたんだ」と怒鳴られたのに対し、被告人が「足が滑ったんだ」と平然と答えた言動を捉えて、確定的殺意の証左であると主張しているが、この点も決め手とするには足りないと考えられる。
以上のとおり、三名の警察官に対する殺意について、これを確定的なものと認めるには足りないとし、いずれも未必的殺意にとどまる旨を認定した原判決に誤りはなく、検察官の事実誤認の主張は理由がない。
(荒木友雄 田中亮一 林正彦)